手取川七ヶ用水(石川県)
手取川七ヶ用水は、石川県金沢市の南に位置する手取川により形成された日本でも代表的な扇状地の右岸地帯を潤す疏水である。古くは加賀百万石の米どころとして、現在も県下最大の穀倉地帯として約5,000haの水田を潤している。
古来より暴れ川といわれた手取川の本流・分流・入川跡を利用してできた富樫、郷、中村、山島、大慶寺、中島、新砂川の七つの用水から成っていることが、名称の由来である。
江戸末期の七ケ用水の取水口は、夏の日照りの時には水不足をまねき、大雨になるとすぐこわれて洪水を引き起こすという粗末なものであった。そこで、現在の鶴来町の商人であった枝権兵衛は、かんがい用水に苦しむ農民たちのため、岩をくりぬいて300mものトンネルを掘る工事を計画した。岩が思いのほか硬く、水が吹き出すなど難工事であったが、私財をも投げうった権兵衛の強い思いにより5年の年月をかけて完成した。この功績を称えて権兵衛は「七ケ用水の父」と呼ばれている。
明治36年(1903年)には、洪水及び渇水対策、配水操作の改善を目的にオランダ人技師ヨハネス・デレーケの指導の下、取水口の合口事業が行われ、大水門、隧道、給水口、幹線水路が完成した。
昭和36年からの国営事業による大日川ダムの完成は、水争いの絶えなかった下流の宮竹用水との分水協定の締結へと繋がり、これにより長年続いた水争いに終止符が打たれた。
近年では、水路の老朽化対策だけではなく、農村の都市化・混住化への対応として、環境に配慮した親水護岸への改修や親水公園等の整備が行われ、地域住民の安らぎと憩いの場を創りだしている。
(参考:ウェブサイト疏水名鑑、手取川七ヶ用水土地改良区)
(URL:http://www.inakajin.or.jp/sosui/ishikawa/a/40/index.html)
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